2017年8月11日金曜日

「怪談夜宴」作家紹介①

 泉鏡花 

1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日

明治、大正、昭和。三つの時代を生き抜いた、日本を代表する幻想小説家です。本名は鏡太郎。鏡花という名前は尾崎紅葉に弟子入りした際、師が即断で命名したそうです。

石川県金沢市に生れ、父親は象眼細工・彫金等の錺(かざり)職人でした。9歳で母を亡くし、以後亡き母への深い憧憬を胸に抱き、その思慕の念が作品にも影響を与えていきます。
明治21年に第四高等中学校を受験し、見事不合格。学業の道を閉ざされた鏡花は、15歳にしてぷらぷらぷー太郎となりました。働くでもなく、ただ毎日貸本屋で借りた本を読み耽る日々。 そんなある日、鏡花は尾崎紅葉の小説「二人比丘尼色懺悔」に出逢います。一読して物凄い衝撃。これこそはこれからの小説ではないのかとおぼろに思い、はじめて、自分もこんなものを書いてみたいと、小説家を目指すきっかけとなりました。

そして鏡花は17歳で郷里を離れ、尾崎紅葉に弟子入りすることだけを目的に、上京します。 そして1年後。 念願叶って紅葉に弟子入り。師あっての自分と、終生をかけて尊信しました。

泉鏡花は、文字をとても大切にしていました。 「言霊」を信じていたのです。
そして大切に思う余り、そこに愛が生じ、敬い、ついには恐れるまでになりました。 間違った文字を書くなんてもってのほか。お酒を呑み過ぎた翌日など、同席した知人に電話で

「君、僕は昨夜、何も書かなかったらうね、ね。(鏑木清方「思ひ出今昔」より)」

と確かめずにはいられなかったといいます。

『いろはの徳はむりやうなり。つかふときは、たいせつに。』
この言葉をしるした紙が、鏡花の死後、綺麗に整理された机の引き出しの中にたった1枚残されていたそうです。

泉鏡花が今に届ける「言霊」を、体感に変える。 毎回、思わず背筋を正してしまう緊張感です。